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ヨシュア・オコン

キュレーション : アサクサ
協力:スカイザバスハウス

12 MAY - 19 JUN 2016

アサクサでは、メキシコ出身の映像作家ヨシュア・オコンによる東京での初個展『ヨシュア・オコン:所有について』を開催します。作家の指示に基づいたアマチュア参加者による演技、ドキュメンタリーや即興をおり交ぜ、フィクションと現実が交わる状況を作り出すオコンの作品は、ビデオカメラを前に行われる社会実験となり立ち現われます。政治的断層の特異性に分け入り、さまざまな団体の主張とその正当性をめぐる問題を探る映像作品は、現代社会に引き起こる対立を明確にする一方で、独特のユーモアで視点を切り替えるオコンの手法が、一方的な意見の対立を乗りこえた認識の先へと鑑賞者を促していきます。

『所有について』と題された本展は二回に分けて構成され、第1部はアートフェア東京の会場内にある個展ブースにて行われます。オコンとサンティエゴ・シエラとの共作 《The Toilet》(2016年)は、メキシコの大富豪カルロス・スリム氏と、彼が有するヨーロッパ近代彫刻の膨大なコレクションを背景に、今年2月の Zona Macoアートフェアに出展されました。皮肉をもって名付けられたこのデジタルコラージュは、スリム氏が有するソウマヤ美術館がラグジャリーな洋式トイレに見立てられ、オーギュスト・ロダンの《考える人》がその上に鎮座しています。南米経済の支配者に対するこの明確な風刺は、反権威主義の実践を描いたもう一つの作品に呼応しています。6チャンネルの映像インスタレーション作品 《Hipnostasis》(2009年)は、1970年代からパンクカルチャーと深い関わりを持つレイモンド・ペティボンとの共作であり、ヒッピー時代から30年以上にわたって、反資本のイデオロギーに忠実にベニス・ビーチに住み続ける老人たちの姿を投影しています。前衛の意識が風化し座礁したひとつの極点を示す本作は、アート界における経済活動の力学をその両端から捉える視座を生み出しています。

所有をめぐる考察が土地や領土に向けられる第2部では、会場をアサクサに移し、アメリカ国境を越えたグアテマラ移民を参照する近作2点を紹介します。《Octopus》(2011年)
は、グアテマラ内戦の再現映像であり、当時のゲリラ戦闘員によって実演されています。かつては敵対する部隊として戦った彼らも、いまは異国で不法滞在者となり、日雇い労働の仕事を待つ同一グループのメンバーです。撮影は彼らが毎日職を待つロサンゼルス郊外のホームセンターの駐車場で行われ、郊外ののどかな環境の中で架空の敵に対する攻防シーンが繰り返されます。《Oracle》(2015年)では、同伴者のいない児童の密入国受け入れに対して抗議活動を展開するアリゾナ州の極右団体を取材する一方で、作品に参加する子どもたちは米国海軍の賛美歌のパロティーを歌い、グアテマラ経済へのアメリカの侵攻を批判しています。どちらの作品も、実在する多国籍業にちなんで名付けられ、アメリカ国内における公的機関と民間企業との癒着を指摘しながら、周辺国の状況悪化をまねく新自由主義経済の功罪を問うています。

軽妙なジョークから直截な社会風刺まで、オコン作品におけるユーモアは、政治的な攻撃と倫理的な問いかけのためのツールとなって機能しています。「私たちの前世代、つまりモダニズムの精神性はあまりにも深刻に自分自身を規定したために、作品のもつ自己批判性が失われてきた」とオコンは述べています。これらの作品の中で演技をする参加者は、一方では作家からの脚本を強いられ、他方で自らの主張を表明する相反した状況におかれます。それはまた、鑑賞者がおかれた社会的ジレンマを反映し、思考の定点がたえず変動する現代の特性に即して、解釈を保留にし漂流させる鑑賞領域をつくりだしています。

世界各地で強硬な保守主義が支持を集めるなか、本展は次のような疑問を投げかけます。政治のかけ引きにおいて、何かを所有しているという内在的意識がどのような力学を生んでいるのでしょうか。芸術が社会へのさらなる関与を求めるとき、アートコレクターは文化圏を超えたどのような先導的役割を担うでしょうか。いったい私たちにとってテリトリーとは何でしょうか。それはどこに始まり、どこに終わるのでしょうか。

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